日記の一頁
或る日の私
山中 小梅
pp.57-59
発行日 1952年8月1日
Published Date 1952/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611200168
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
四里程東へ離れた本県吾川郡伊野町の天理教会で四国の産婆総会を開催した翌日,後の片付をともどもに終え正午過ぎ自動車も通わぬ道なれば徒歩にて雨の中をモンペ姿で仁淀川の渡舟場迄さしかゝつた。時雨は変つてちらりちらり鳥の羽根を散らした樣な大雪となり脛から下半分濡らしながら高岡町自動車待合所へたどり着いた時は最終自動車に漸く間にあつた位冬の日の短い昭和21年12月9日であつた。南国の土佐ではあまり積つた事もないのであるがその日のみは珍らしく降り積つて俄かの銀世界,自動車にゆれながら我が家に帰りついたのは午後6時頃,座敷に上らんとする折りも折り私の帰りを待ち兼ねていたK樣は昼間から陣痛があつて困つておつた樣子,直ぐ診てほしいとのことに濡れしモンペもはきかえもせずそのまゝ手術衣をまとい鞄ひつかゝへてK樣宅へ走る。産婦は第3回の経産婦で手指の消毒をするする問診すれば10分おきに陣痛の発作ある由。さほど苦痛の樣子は見えない。
Copyright © 1952, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.