発行日 1948年12月15日
Published Date 1948/12/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661906408
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日直の夜12時に院内各病棟を見廻る。内科六病棟は精神科病棟である。眞暗な廊下を懷中電燈を照らし乍ら病室に入る。大室の患者は深い眠りに入つたらしく安らかに寢息が聞へてくる。ぎいーと重い扉のきしみ,廊下の個室の堺の扉を開けて保護室に入る。こゝだけは暗い電燈乍らも各部屋に灯がついてゐる。
何處の部屋からか獨言らしいひそやかなつぶやきが洩れてくる。私は小さな高い窓から一部屋一部屋覗いてみる。部屋の片隅に蠢めいてゐるとしか見へないその姿,深夜だと云ふのに寢もやらず毛布をほどいてその細い絲を丹念につないで毬の樣なものをいくつも作つてゐる。一心に………無心にさへ見へる姿で………好く空笑をする。幻聽があるのでそれに對して答へてゐるのだと先生は仰言つたけれど一體何を思ひ何を考へそして一體何を話してゐるのだらう………私はしみじみ心の痛む思ひがするのだつた。この患者の病名は「麻痺性痴呆」38歳の男子,奧さんも子供さんもある方である。血液及脊髄液のワツセルマン反應は(卅)である。入院當時は狂暴性があり室外へ飛出さうとしてそれが出來ないので手あたり次第ものを投げつけ大聲で叫び續けてをつたが,「サルヴアルサン療法」「熱療法」等を續けてをるうちに一般状態が落着いてはきたが最近は誇大妄想的な言語が多くなつできて何時も樂しさうにしてゐる。これを「多幸性顔貌」と云ふ由である。
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