今月におくる言葉
或る憤激
pp.9
発行日 1954年5月10日
Published Date 1954/5/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662200727
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或る保健婦さん達の集りの時に,こんな事実があると知つて,びつくりするというよりも強いいきどおりを感じたことがある.保健婦さんは或地方のB級保健所の婦長で,彼女のところの若い保健婦Aさんの話である.Aさんは3年位の経験をもつ者非常に熱心な保健婦さんで,受持地区の家庭訪問指導に特別の力の入れ方で仕事をしている.或日,保健所に届出られた結核患者の在宅指導の者めに出かけたところが,この患者はもう隨分長い間家庭療養をつづけている人であつて,当初から主治医があつて樣樣の療法,服薬を試みていたが,はかばかしくなく,何病とも明確な診断がついていなかつたのであつたが,一日,朝つよい咳と共に喀血し,家人があわてて主治医を招き,手当を求めた結果が,保健所への届出となつたわけでありました.過去長い間の療養生活に相当の医療費を使い果し,ここではじめて結核と知つた本人も家族も今後の医療費の負担を思つて暗胆としているところであつたという.そこでAさんは,結核の治療費については,現在その1/2は国庫負担があるから心配しないで,手續をするようにすすめ,其の方法を教えて帰つた.ところがそのことが其の後主治医の知るところとなり.「余計なことをする保健婦だ」「とるものがとれなくなつた」とひどくうらまれ,其の地区で活動が非常にやり難く,其の他のケースについての協力もしてもらえなくなつたというのであつた.
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