私達の頁
“或る日の私のノートより”/身辺雑感/癌と戦う人達
森岡 田鶴子
1
,
谷川 美江
2
,
後藤 明子
3
1国立京都病院
2都交通局病院
3岡山大学看護学院
pp.49-53
発行日 1956年8月15日
Published Date 1956/8/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661910166
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
「看護婦サン小さな男の子がなチンバーつて云うネン」混血児で,両側股関節脱臼の秋子チヤンの訴え,この病舎に勤務交替になつた時から,何時かはこの質問が来る,その時どう云う風に答えればよいのか,と祈り乍ら歩んで来た毎日でした。而し結論を出していない今日,来るべきものが来たという気持に一瞬に全身の血がひいて行く様に感じられます。
「あのネ,秋子チヤン小さな男の子はねいゝ事と,悪い事とまだ分らないの,神様はね,いゝ事する子をほめて下さるんだつたでしよう。いゝ事も悪い事も判らない子は許してあげましようネ」「ウン」秋子チヤンは素直にうなずいて,ピヨコピョコど肩をゆすり乍ら廊下の方に歩いて行きます。私はその後姿を見送り乍ら抱きしめてあげたい気持と神様を信じる素直な子供になります様にと祈らないでは居られませんでした。多忙な準夜勤の小さな出来事です。整形外科47床の内1/2は肢体不自由特別学級になつている病舎のナースとして使命の重大さと力の足りなさを感じられるのです。最も必要と思われる精神看護,どう云う風に導いてゆけば一番よいのでしよう。
Copyright © 1956, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.