扉
或る墓碑銘
古和田 正悦
1
1秋田大学脳神経外科
pp.5-6
発行日 1982年1月10日
Published Date 1982/1/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1436201448
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鎖国下の日本で近代医学への窓を開いた『解体新書』は余りにも有名である.『解体新書』にある21枚の解剖図を描いたのが小田野直武である.東北の小京都として武家家敷と枝垂れ桜で知られる現在の秋田県角館町の松庵寺に彼の墓がある.初めて訪れた時,当地には医学に関る史実に乏しいと思い込んでいた我身の無知を恥じた.
彼は幼少から画を学び,のちに秋田藩主佐竹義敦(曙山)の信任を得て,ともに洋画法の研究に励んだ.曙山は日本洋画史上で著名な人物であるという.安永2年平賀源内が秋田藩に招かれた折,当時25歳の直武は源内から洋画を教えられ,その年の12月,江戸に出ている.源内の推薦でまもなく杉田玄白より西洋医学諸書の解剖図を模写する仕事を依頼された.直武は江戸に着いて早々に歴史的な大事業に遭遇したことになる.付図の最後の頁には絵がなく,直武が玄白に頼まれてやむなく筆をとったということを漢文で記している.彼はその後,藩主の勘気を蒙って謹慎の身となり,その翌年32歳の若さで生涯を閉じた.数奇な運命であった.
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