講座
日本助産史(2)
小柳 こと
pp.20-22
発行日 1952年2月1日
Published Date 1952/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611200033
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Ⅲ 産婆制度の沿革
1.産婆に對する布告明治元年5月(AD1868)大政官が作られ立法,司法,行政は分立され政府の機構も一應近代的に整えられた同年12月大政官布告を以て「賣藥の仲介,墮胎行爲禁止」が發令されたのである。これは我が國に於て産婆に關する最初の法令發布である。
2.醫制發布明治維新以後舊來の風習を破つて知識を世界に求めようとする官民上下の希望と努力は外國文明の移入に集中され國民生活のあらゆる面に革新が行われた。それに伴つて衞生行政の獨立が企てられ明治5年2月(AD1872)文部省に醫務課を設け衞生事務を掌つた。翌6年3月(AD1873)長與專齋の歸朝と同時に醫務局となり初代局長として規律ある衞生事務に着手し明治7年8月18日(AD1874)には統一した醫藥制度の濫觴たる醫制の發布を見るに至つた。
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