日本泌尿器科臨床史・21
日本における導尿の技術史
友吉 唯夫
1
1滋賀医科大学
pp.1062-1063
発行日 1992年12月20日
Published Date 1992/12/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1413900759
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日本において導尿が,誰によって最初におこなわれたかということはよく話題になるが,「本邦初の導尿症例」といったような文書があるわけでなく,確かなことは不明である.大矢全節博士の『泌尿器科学史』には,導尿ないしカテーテル使用における華岡青洲(1760〜1835)の業績や宇田川玄眞『増補重訂内科撰要』の導尿にかんする記述が紹介されているが,青洲が日本最初の導尿医であったとは考えにくい.カテーテルについてはもうすこし古い記述があるからである.
筆者が調べた範囲で,導尿のことを記載している最も古い医書は,原南陽の『叢桂亭醫事小言』(1803)である.原南陽(1753〜1820)は水戸の出身で,京都に出て山脇東洋に医方を学び,産術を賀川玄迪より教授され,のちに水戸藩医となった人であるが,華岡流外科の継承者であり,青洲の業績のよき紹介者でもあった本間棗軒そうけん(1804〜1872)も,一時は京都で原南陽の門下生であった.この『醫事小言』は原南陽の口述を門人の本田恭が筆記し,さらに同じく門人である大橋信が校正したものであるが,この巻三に尿閉の治療法を次のように述べている.( )内は送りがな,〔 〕内は訂正を筆者が加えたものである.
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