Sweet Spot 文学に見るリハビリテーション
宮沢賢治の『この夜半おどろきさめ』—結核体験と自己犠牲
高橋 正雄
1
1筑波大学人間系
pp.662
発行日 2017年6月10日
Published Date 2017/6/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1552201002
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昭和8年に37歳で亡くなった宮沢賢治は,自らの結核患者としての体験をいくつかの詩に綴っている.たとえば,『夜』は,「これで二時間 咽喉からの血はとまらない」という書出しで始まる詩であるが,「こんやもうここで誰にも見られず ひとり死んでもいいのだと いくたびもさう考へをきめ 自分で自分に教へながら またなまぬるくあたらしい血が湧くたび なほほのじろくわたくしはおびえる」と,半ば死を覚悟しながらも,いざ咽喉からの出血を見ると脅えてしまうという,当事者ならではの実感に溢れた詩である.また『眼にて言ふ』には,大量出血して死に瀕した時の澄みきった心境が描かれているが,これらの中で最も賢治らしい詩は,賢治の死後,『十一月三日(雨ニモマケズ)』とともに手帳に発見された『十月廿日(この夜半おどろきさめ)』ではないかと思われる.
『雨ニモマケズ』の2週間前に書かれたと推測されるこの詩は,「この夜半おどろきさめ 耳をすまして西の階下を聴けば ああまたあの児が咳しては泣き また咳しては泣いて居ります」という書き出しの詩である.この女児の両親は,昭和3年12月に賢治が急性肺炎になった時,自分たちが使っていた日の当たる広い部屋を賢治に与え,自分たち夫婦はそれまで賢治が病んでいた暗い部屋に移ったのである.
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