Sweet Spot 文学に見るリハビリテーション
病床作家としての宮沢賢治―昭和8年9月11日の書簡
高橋 正雄
1
1筑波大学心身障害学系
pp.962
発行日 2002年10月10日
Published Date 2002/10/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1552109881
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昭和8年9月11日,結核による病いの床にあった宮沢賢治は,花巻農学校時代の教え子柳原昌悦に宛てた手紙の中に,それまでの人生を総括するような文章を書いている.
その中で賢治はまず,「どうも今度は前とちがってラッセル音容易に除かれず,咳がはじまると仕事も何も手につかずまる二時間も続いたり,或は夜中胸がびうびう鳴って眠られなかったり仲々もう全い健康は得られそうもありません」と,今回の病気が容易ならざる状態であることを伝える.そのうえで賢治は,「私のかういふ惨めな失敗はただもう今日の時代一般の巨きな病,『慢』といふものの一支流に過って身を加へたことに原因します」として,次のように自らの人生を回顧している.「僅かばかりの才能とか,器量とか,身分とか財産とかいふものが何かじぶんのからだについたものででもあるかと思ひ,じぶんの仕事を卑しみ,同輩を嘲けり,いまにどこからかじぶんを所謂社会の高みへ引き上げに来るものがあるやうに思ひ,空想をのみ生活して却って完全な現在の生活をば味ふこともせず,幾年かが空しく過ぎて漸くじぶんの築いていた蜃気楼の消えるのを見ては,ただもう人を怒り世間を憤り従って師友を失ひ憂悶病を得るといったやうな順序です」.
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