Sweet Spot 文学に見るリハビリテーション
夏目漱石の『吾輩は猫である』—当事者の慰め
高橋 正雄
1
1筑波大学人間系
pp.644
発行日 2016年7月10日
Published Date 2016/7/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1552200664
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明治39年に発表された『吾輩は猫である』(岩波書店)の第9章には,漱石の分身的な主人公である英語教師の苦沙弥が,自分は病的な人間に感心しやすいことに気づいて,自らの精神状態に不安を抱く場面がある.この時苦沙弥は,「自分が感服して,大いに見習おうとした」友人の八木独仙に2人の「気狂の子分」がいたことや,「これこそ大見識を有している偉人に相違ない」と思い込んだ人物が実は「純然たる狂人」で,現在も精神科の病院に入院中の身であることなどを知り,「気狂の説に感服する以上は—少なくともその文章言辞に同情を表する以上は—自分もまた気狂に縁の近い者であるだろう」と思って,不安になるのである.
ここには,周囲から神経衰弱扱いされている苦沙弥の,自らの精神状態に対する病感のようなものがうかがえるが,こうした不安を,苦沙弥は次のように考えることで乗り切っている.「こう自分と気狂ばかりを比較して類似の点ばかり勘定していては,どうしても気狂の領分を脱する事は出来そうにもない」,「気狂を標準にして自分をそっちへ引きつけて解釈するからこんな結論が出るのである」.
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