Sweet Spot 文学に見るリハビリテーション
北杜夫の『夜と霧の隅で』—脳卒中の医師と精神障害の患者
高橋 正雄
1
1筑波大学人間系
pp.1104
発行日 2014年11月10日
Published Date 2014/11/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1552200058
- 有料閲覧
- 文献概要
昭和35年に北杜夫(1927〜2011)が発表した『夜と霧の隅で』(新潮社)は,ナチス政権下で精神障害者を抹殺するよう命じられた南ドイツの精神科病院を舞台にした小説であるが,この作品には年老いた精神科病院の院長が脳卒中で倒れるという場面がある.院長は一命こそ取り留めたものの,重篤な後遺症が残り,「杖にすがり人にささえられてどうにか短い距離を歩き,呂律のまわらぬ舌で辛うじて意志を伝えることができる程度」の状態になった.しかも,「彼の精神にはかなりの欠損が生じているらしく,老人性の多幸症にみられるような単純な笑顔を見せるだけ」だったのである.半身不随の身になった院長は,彼が40年間面倒を見てきた患者たちと大差のない生活を送るようになった.
そんな院長が遂に病院を去る時がきた.しかし,彼は聞き取りにくい声でどうしても病棟を見て回ると言い出したため,最後の院長回診が行われることになった.かつては老人とは思えぬほど活気に満ちた回診を行い,忙しく患者に問いかけたり肩を叩いたりしていた院長は,手押し車に乗せられて,廊下から廊下に静かに押されて行った.彼は一言もしゃべらず,開け放たれた窓や戸口から患者たちを黙って眺めて,にこにこ笑うだけだった.
Copyright © 2014, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.