Sweet Spot 文学に見るリハビリテーション
病跡学者としてのエラスムス―『痴愚神礼讃』の天才論
高橋 正雄
1
1筑波大学人間系
pp.82
発行日 2013年1月10日
Published Date 2013/1/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1552110000
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1511年に発表されたエラスムスの『痴愚神礼讃』(渡辺一夫,二宮敬訳『世界の名著17』中央公論社)は,痴愚神が狂気の讃美をするという作品であるが,『痴愚神礼讃』の63章から68章にかけては,「聖書の証言を支え柱とし基礎として,自画自賛をいたしましょう」と,『聖書』から自らの主張の裏づけとなるような記述を引用している.なかでも注目されるのは,パウロが狂気について語った次のような言葉である.「わたしはだれにもまして狂者だから,狂ったもののように語る」,「余はなんじらの目にさらに狂気と映るらん」,「神はおろかさをもって世を救おうとなさった」.
痴愚神は,パウロが自らを「狂者」と規定したことに着目しているのだが,痴愚神はさらに,キリストにもこれと似た狂気の要素があるとして,次のように述べている.「キリストご自身も,この人間たちの痴愚狂気を救うために,みずからは神の知恵の具現であったにもかかわらず,「人の形で現われたもう」べく人間の本性を担われたときに,いわば痴愚狂気をみずからまとわれたのです」.
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