Sweet Spot 文学に見るリハビリテーション
エラスムスの『痴愚神礼讃』―ルネサンスにおける精神遅滞観
高橋 正雄
1
1筑波大学心身障害学系
pp.497
発行日 1998年5月10日
Published Date 1998/5/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1552108667
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1511年,エラスムスが42歳の時に発表した『痴愚神礼讃』(渡辺一夫・二宮敬訳,中央公論社)は,ルネサンス期を代表する作品の一つであるが,そこには,精神遅滞者に対する普遍的ともいえる誤解が示されている.
この作品のなかで,エラスムスは,痴愚神の口を借りて,「阿呆だとかキ印だとか,うすのろだとか,私によればじつにりっぱなあだ名で呼ばれているご連中以上に幸福な人々がいるでしょうかしら?」として,今日ならば精神遅滞と呼ばれるであろう人々のことを,次のように語っている.まず,痴愚神は,「こういう人々は,けっして死を恐れません」とか,「亡霊や化け物を怖がることもありませんし,恐ろしい不幸にたいする不安もありませんし,将来の幸福にたいする度を越えた期待もありません」と,彼らは,恐怖や不安から解放された存在であると語る.さらに,痴愚神は,「こういう人たちの良心には全然呵責がありません」,「屈辱も,恐怖も,野心も,羨望も,愛情も知りません」などと,精神遅滞者には,われわれが感じているような心の働きもないと決めつけるのである.そのため,精神遅滞者は,「この人生を作りあげている百々千々の憂慮に苦しめられること」はなく,「死を恐れもせず感じもせず,一生涯を愉快に過ご」すことができるのだと言う.しかも,彼らは,自分たちの人生を愉快に過ごすだけでなく,「行く先々へ,楽しみと,遊びと,おもしろさと,陽気さとをもたら」し,「もの悲しい人間生活を陽気にする役目」を果たしているというのである.
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