Sweet spot 文学に見るリハビリテーション
『オセロー』のブラバンショー―「障害受容」と欺瞞性
高橋 正雄
1
1筑波大学心身障害学系
pp.1101
発行日 1998年11月10日
Published Date 1998/11/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1552108811
- 有料閲覧
- 文献概要
シェイクスピアの『オセロー』(福田恆存訳,新潮社)の第一幕第三場には,娘のデズデモーナからオセローと結婚したいと聞かされたブラバンショーが,娘に,「もう用はない」,「実の子をもつよりは貰い子のほうがましだったぞ」と言い放つ場面がある.最愛の娘を,肌の黒いムーア人に奪われたブラバンショーは,悲嘆と怒りのあまり,娘との縁を切ろうとするのである.
この辺りのブラバンショーの嘆きには,娘たちに裏切られて激怒するリア王の姿を想起させるものがあるが,『オセロー』では,そんなブラバンショーに対して,ヴェニス公が,「御身の立場になり代わり,教訓を述べさせてもらうとしよう.案外,それが踏み石になって,やがて二人が御身の心に適う日が来ぬでもあるまい」として,次のように慰めている.曰く,「過ぎ去りし禍を歎くは,新しき禍を招く最上の方法なり」.曰く,「運命の抗しがたく,吾より奪わんとするとき,忍耐をもって対せば,その害もやがては空に帰せむ」.曰く,「盗まれて微笑する者は盗賊より盗む者なり,益なき悲しみに身を委ねる者はおのれを盗む者なり」.
Copyright © 1998, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.