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はじめに
脳外傷,脳血管障害,脳性麻痺あるいは脊髄損傷など,皮質脊髄路に損傷を受けた患者の多くは,身体運動やコミュニケーション,あるいはADL能力が損なわれる.これは随意運動を実行し調整する能力が低下し,さらに痙性が動作を阻害するからである1).
痙性についてはさまざまな説明があるが,要するに患者が自分で身体を動かそうとしたり,あるいは他動的に四肢が動かされたときに,一連の不随意な運動現象が起こることである.痙性が起こる機構はまだ完全に解明されていない.しかし現時点で受け入れられている考え方は,四肢末梢からの上行性シグナルと脳からの下行性シグナルが,脊髄の介在神経interneuronレベルで誤った処理を受けるためとされている.これは脊髄前角のアルファ運動神経プールの興奮性に影響し,ことに脊髄皮質路の損傷を伴っている場合には脊髄前角運動細胞の過剰興奮を引き起こす.痙性が中枢神経系の比較的限局した障害によって起きているのであれば,痙性をきちんと治療できるかもしれない.しかしながら痙性が運動制御系と深く関わっているのだとすると,これを治療するには,部分的であるか全体であるかは別として運動系機能障害そのものの治療を考えなければならないのかもしれない.そのあたりはまだよく分かっていない.
痙性の症状を訴える患者は多いが,それぞれの症状は同じではない.約1世紀ほど昔にSherringtonは,猫を用いた筋伸張反射の実験を行った2).これが後に痙性の臨床症状と症候を記述する生理学的な基礎となった.伸張反射が痙性の診断に中心的役割を果たしていることは,以下のNathanのものに代表される神経学的記述のなかで繰り返されてきた.すなわち痙性とは,「健常者では表面に現れることのない筋伸張反射が,表面に現れるようになった状態である.腱反射の閾値が低下するため,腱の叩打によって筋収縮反射が強く出現し,叩打を受けた以外の筋も反応する.緊張性伸張反射tonic stretch reflexも同様の影響を受ける3).」
痙性は,伸張反射の亢進以外にも筋のこわばり増強や拘縮などを合併しやすい.Hermanは,重度の痙性患者では筋のレオロジー的特性(粘弾性および可塑性)が変化するため,他動的伸張による張力が増強しやすく,さらに拘縮が合併している場合にこの傾向が強くなることを示している4).
臨床的には,痙性麻痺患者の機能障害に対して,主動筋の運動麻痺を改善させるよりも,拮抗筋の痙性を弱くする治療を考えるほうが容易である5).例えば,前脛骨筋による足関節の随意的背屈を行える患者で,拮抗筋である下腿三頭筋の痙性が足背屈運動を妨害している場合,下腿三頭筋の力を筋運動点ブロック,脛骨神経ブロック,あるいはアキレス腱延長手術などによって弱める方法がある.ただし,前脛骨筋の麻痺が高度で,選択的な足背屈随意運動ができない患者の場合には,推奨できる治療法は少ない.下腿三頭筋の痙性が,前脛骨筋による足関節背屈の開始,調整,終了,およびその速度制御に影響していることは間違いないが,痙性と随意的運動制御の問題は本来独立している.
痙性の存在は,上位運動ニューロンに損傷があることの有力な診断手がかりとなる.しかしながらリハビリテーション医にとっては診断学的興味よりも,痙性が引き起こす機能的な問題をどう治療するかということのほうに興味がある.このことに関連してリハビリテーション医が良く用いる用語には,「痙性歩行」,「痙性による肘屈曲」,「痙性手」,「痙性内反尖足」,さらには「痙性嚥下障害」などがある.リハビリテーション医の興味が,能力障害あるいはその原因となる運動機能障害のどれに向けられるかによって,痙性を評価,治療する手段も広範なものとなる.
以下に,痙性による下肢の運動障害の評価と治療,およびボツリヌストキシンA(BTX-A)による治療を中心に,痙性へのさまざまな対応法について述べる.
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