Sweet Spot 文学に見るリハビリテーション
『人間の絆』と老荘思想―モームの障害受容(第2報)
高橋 正雄
1
1東京大学医学部精神衛生・看護学教室
pp.1097
発行日 1995年12月10日
Published Date 1995/12/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1552108005
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前回の本欄では,「人間の絆」(北川悌一訳,講談社)の末尾で,主人公の医師フィリップが自らの過去や障害を受容していく過程を論じたが,『人間の絆』には,もう一つ,別の人生の受容の仕方が描かれている.それは,経済的困窮に陥って医学校を休学していたフィリップが友人ヘイウォードの死を知る場面である.フィリップは,かつて「大きな万能性を秘めて,将来に対する情熱にあふれていた」この友人が,何も達成しないまま,つまらぬ病気で死んだことを聞かされて,「人生の意味って,なんなんだろう?」と自問する.「努力ばかりかさねて,結果はじつにとるに足りないものだ.青春時代の輝かしい希望の代償は,にがにがしい幻滅なのだ.苦痛と病疫と不幸が,はかりを重くおしつけている」.
さらにフィリップは,自らの人生を顧みて彼自身の「肉体におしつけられた制約,友人に恵まれなかったこと,青年時代をつつんでいた愛情の欠如」などに思いを馳せる.「最高と思ったことばかりしてきたつもりだったのに,なんという失敗をしでかしたことだろう」.しかも,「ほかの人間は,彼以上の利点はべつにないのに,成功し,さらに,利点をずっと多くもっているほかの人間は,失敗している」のだ.
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