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はじめに―戦後療育史にみる4つの転機
ノーマリゼーションが目指す地域福祉の充実が叫ばれる中で,「地域における肢体不自由児リハビリテーション」を如何に進めていくかは重要な今日課題の一つである.
肢体不自由児の「リハビリテーション」を私たちは「療育」と呼ぶが,もともとこのサービスはケースに対する医療・療育と,地域に対する療育思想の啓蒙・普及,巡回相談,早期発見・早期治療,療育講習会ほか様々な社会医学的地域活動の2つを車の両輪として展開されてきた歴史がある.
申すまでもなく,この事業は故高木憲次博士(東京大学名誉教授,整肢療護園初代園長)がライフ・ワークとして基礎を築かれたものであるが,戦後の児童福祉法(昭和22年制定)に基づいて全国各地に拡がったこの事業を支えてきたのは,高木博士が創始された「療育のあり方」1)が原点である(図1).
この「療育」の理念の本質は,障害児の全人的(全児童的)育成であり2),今様に申せば,子どもたちの将来の社会統合(Integration)を目指した「自立に向けての発達保障」を意味している.(かつて高木博士はこれを「独立市民たる資格を得ること」と述べておられたが……3))
さて,近代における西欧の地域リハビリテーション(CR: Community Rehabilitation)活動の展開が施設を基盤とする,いわゆる施設中心型のシステムであったように4),わが国の小児のリハビリテーション活動もこれと同様の歩みが続けられてきた.
では,地域における肢体不自由児の「リハビリテーション」について,医学の目,地域関係者の目,親・家族がその必要性を強く意識づけられ始めたのはいつの頃であったのか.初めに,わが国の「療育のあゆみ」にみるいくつかの起点・転機を探ってみたいと思う.
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