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はじめに
大川(司会) 今日,「リハビリテーションと精神的諸問題」という特集の一環として座談会をもつことになったわけですが,精神的諸問題という言葉の意味,そこに含まれる問題は,明確なようでいて曖昧な点もあるわけです.そこで,今日お集まりの先生方は,当然この問題については日常の生活の中で非常にご苦心なさっていることとは思うんですが,まず最初に,東大のリハビリテーション・センターで長い間精神科のコンサルタントとしてお仕事をなさってこられた浜田先生に,精神的諸問題ということについて,簡単に,解説的にお話をしていただきたいと思います.
浜田 精神科医というのは,皆さんの話を聞いてから,そこにどういう問題があるのかいっしょに考えるところから出発するのがたてまえなんですけれども…(笑い),したがって,総論というのはかえって有害だという考え方もあるかもしれませんが,一応考えてみました.非常に教科書的になって恐縮ですけれども,とりあえず前座ということで,話の口にしていただければ幸いだと思います.
リハビリテーションと精神的諸問題というとき3つの側面があるんじゃないでしょうか.1つは,身体症状と同じレベルでの,狭い意味での精神的症状―そういういい方はまずいかもしれませんが―,脳という身体臓器がなんらかの障害を受けたときに,身体の麻痺が起こると同時にいろいろ精神的機能も障害を受けるわけです.具体的には,脳が全体として急性に障害を受けると意識障害が起こるし,慢性に障害を受けると,痴呆であるとか,あるいは性格変化,人格障害が現れる.それから部分症状としましては,いわゆる巣症状―失行・失認・失語というのがございます.さらには,神経症状,それから全体的な精神症状,あるいは部分的な精神症状という3つのからみ合いも実際は重要になってきます.個々のケースではそれぞれこの3つの症状が別々に現れるということではなくて,からみあって現れることもありますし,それは治療という側面から考えてみましても,いろいろな形で働きかけに対する抵抗,すなわちやる気があるかどうかというようなモチベーションの問題もでてまいります.それに対して,われわれはどう対応していくかということで,単に麻痺に対応するということではすまなくなってきます.
それから2番目は,病める人間として,全体的にとらえる側面というのがあるわけで,いままで元気で働いていた人が突然脳卒中で倒れると,その人の人生はガラッと変わってしまうわけです.いわば非常に大きな人間的な危機なのです.死という問題とも直面することになるでしょう.その人にとっては逃げられない,ひとつの運命的な体験となります.たとえば,手職人がある日突然右手を失ってしまったというときに,それは,単に右手が動かないということを越えた,人間的,あるいは社会的な死を意味するだろう.そこから彼がどうやって抜け出ていくのか,そしてその過程に私たちがどうかかわっていくのかという課題があるわけです.なおここで,実際的には脳の重篤な精神症状がありますと,むしろ非常に気楽になってしまって,どうでもよくなってしまうわけですが,軽い障害がある場合,あるいはあとで出ると思います脊損のようなとき,むしろ非常に大きな課題になってくるわけです.SMON病を病んでいる人に自殺者が多いという問題もあると思います.
それから3番目には,社会的側面といいますか,いわば個体生物学から患者をとらえるのではなくて,生態学的な視点といいますか,地域の中で患者さんがどうやって生きていくのかという問題,すなわち仕事のこととか,生きがいの問題とか,あるいは家庭や職場の中でどうやってその人が受け入れられていくのかというふうなことがあるんじゃないかと思います.
次にはこのような身体症状,巣症状,狭い意味での精神症状,そして心理的,あるいは社会的な背景というものが,それぞれバラバラに存在しているというのではなくて,同心円状というんでしょうか,どんどん広がるような形で,全体としてとらえることが必要だろうし,実際のケースの対応を考えるときにも,いわば総合的な働きかけという問題が出てくるんじゃないかというふうに思います.
最後に,治療者自身の問題というのがやっぱりあるでしょう.私ときどきOT.PTの方たちが働いておられるところを見て,非常に得々として,あるいはひどいときには子供をあやすように,あるいはどなりつけられながらやっておられるのを見かけます.そういうような,いわゆる鼓舞激励方式というようなやり方,上から「しっかりしろ」というふうなやり方が効果的な人もいるんでしょうけれども,むしろ逆効果になってしまうこともあり得ると思います.われわれの領域でいいますと,うつ病の患者には,精神主義的な鼓舞激励方式というのはかえって病状が悪くなるわけで,そのへんで治療者自身のパーソナリティも含めて,私たちの仕事は人間を扱う仕事,人間と人間がかかわりあう仕事なわけですから,そのへんの問題も,時間が許されれば取り上げていただきたいと思います.
大川 どうもありがとうございました.浜田先生には精神科医の立場からお話をしていただいたわけですけれども,リハビリテーション医として働いていらっしゃる上出先生,この精神的諸問題に対していまかかえておられる問題をお話ししていただけますか.
上田 リハビリテーション医学というものは,病気あるいは障害を対象とするのではなくて,障害をもった人間を対象とするものである.しかも障害という,いわばnegativeな面を主な関心にするのではなくて,障害があってもなおかつその人間が持っている能力というもの,ちょうど障害の裏側の能力を重視するというところに基本的な特色があると思います.そうしますと,その能力というものには,精神的な要素が非常に大きく働いているわけで,リハビリテーションをやっている方は,日々それを実感としてよく感じているんじゃないかと思います.機能的な障害として見れば,ほとんど変わっていないにもかかわらず,その人間全体としてはリハビリテーションの効果が十分上がったという場合もあるし,逆に身体的な面ではかなりよくなっているのに,本人にとってはそれはちっとも満足すべきではないし,客観的にも社会の中におけるリハビリテーションの本当の効果がちっとも上がっていないというような場合もあります.それは,最初にのべたリハビリテーションの本質からすればあたりまえのことなんですが,しかし逆にいえば,そういうことを実感としてわれわれは感じているけれども,医者としてのトレーニングの中では,精神科の方は別として,そのほかの身休的なものを対象としている,整形外科とか,神経学とか,内科とかいう専門の場合には,精神的な問題に対する常識が,あまりにもないのじゃないでしょうか.そして,リハビリテーションをやるようになってから,しようがないので本を読んでにわか勉強したり,あるいは試行錯誤的に失敗を通じて学んだりというようなことをやっている人が非常に多いので,なにかもうちょっとまとまった考え方,はっきりした寄って立つべき,精神的な問題に対する診断学というようなものを身につけたいという気が非常にします.身体的なものに関しては,それぞれかなり診断学的体系ができ上がっているし,リハビリテーションの社会的な面についても,おぼろげながらこういう問題にはこういうふうに対処すればいいということがあるわけですが,心理的,精神的なものが一番そのへんの谷間になっていて,われわれリハ医の一番弱い,きわめて経験主義的にやっているところではないかと思います.
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