Japanese
English
- 有料閲覧
- Abstract 文献概要
- 1ページ目 Look Inside
Ⅰ.はじめに
「ファシリテーション・テクニック」と総称される治療手技の体系が1950年代の初期にFay(脳外科医),Kabat & Knott(医師と理学療法士),Bobath & Bobath(医師と理学療法士),Brunn-strom(理学療法士),Rood(作業療法士・理学療法士)などによって独立に,しかしほとんど同じ時期に発表された運動療法の新しい技法であることはすでによく知られている.またこれらの技法に共通する特微が,1930年代に(もっぱらポリオのリハビリテーションの努力の中で)確立された古典的な運動療法理論に対する根本的な批判にあり,それを乗り越えようとして,彼らが神経生理学的な法則性をそれぞれのやり方で利用しようとしたこと,そのため,これらの説は時に「神経生理学的アプローチ」とも総称されることもまた周知のことである注).
わが国におけるこれらの体系の紹介は先駆的には土屋1)によるP.N.F.の引用がおそらく最初であり,実際に自ら追試した成績の発表は服部2)が最初である.当時は文献も乏しく,断片的な論文の他にまとまったものとしてはKnott & Vossの「P.N.F.」の初版(1956)3)とWillard & Spackmanの「作業療法」第3版(1963)の中のAyresの総説があっただけであった.実技も来日した外国人のセラピストたちの手で少しずつ紹介されるのにたよる他はなかった.この当時の業績としてはアメリカで学んだ原の紹介5~7),福井8),佐藤ら9)の研究,その他いくつかの紹介10)があっただけである.筆者もこの頃簡単な筋電図的な検討を試み11),12),また文献紹介の意味で当時得られた限りでの原典的な文献の比較的詳しい紹介をおこなった13).
このような紹介・導入の時期とくらべ,その後現在までの僅か数年間の発展にはまことに眼をみはるばかりのものがある.何よりも多くの医師,セラピストが直接これらの技法の習得を目的として留学し,それをもちかえってわが国の現場で広く実際に用い,また普及に努力した14~18).外国人セラピストによる紹介・普及も活発であった19~21)し,外国文献もますます多くのものが入手できるようになり,その中の主要なものが最近2~3年のうちにあいついで翻訳され,今やBrunstrom22),Bobath23~27),P.N.F. 28)の各説についての主要な著書はすべて日本語で読めるようになった.さらに1973年にBobath夫妻が来日して講習会をおこなったことは画期的であり,大きな影響を後にのこした.またその後新しい説として西独のVojta(小児神経医)の脳性麻痺の超早期療育の体系が紹介され現在注目をあびているし29~31),対象疾患の範囲も従来の脳卒中,脳性麻痺などだけでなく,スモン32,33),その他の疾患34)にも拡大された.特にスモンについては現在,Bobath法にもとづく治療効果についての多施設の共同研究が進行中である35).このような状況を反映して,日本リハビリテーション医学会でもいくつかの発表がおこなわれたし5,8,9,36,37),セミナーでもすでに2回とりあげられている38,39).
このように,ファシリテーション・テクニックはすでに導入期・紹介期をはるかに脱して,日本のリハビリテーション界の中に着実に根を下しつつあるように見える.10年前とは隔世の感がある.しかしそこに全く問題がないのではない.導入・紹介の時期には(むしろ物珍しさで好意的に迎えられ)それほど問題にならなかった実際の臨床の場での有効性の証明が今や避けて通れないものになってきたことをはじめ,今やむしろ厳しい評価にさらされつつ,医学の世界での市民権を得られるかどうかが問われる時期に入ったのだと考えなければならないであろう.この小論は,そのような時点に立って,あらためて現在の問題点を整理し,できれば今後の方向を探ってみたいと思ってのものである.
Copyright © 1975, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.