Sweet Spot 文学に見るリハビリテーション
『古今和歌集』の老年観
高橋 正雄
1
1筑波大学心身障害学系
pp.1078
発行日 2003年11月10日
Published Date 2003/11/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1552100931
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延喜5年(西暦905年)頃成立した『古今和歌集』(小沢正夫校注・訳,『日本古典文学全集・7』,小学館)の雑歌には,老いを嘆く歌が数多く含まれている.
例えば,いずれも読人知らずの歌であるが,「今こそあれ我も昔は男山さかゆく時もありこしものを」(今でこそこんなに衰えているが,私も昔はりっぱな男で男山の坂ゆくという語のとおり,栄・えてゆ・く・時があったものでした)とか,「笹の葉に降りつむ雪のうれを重み本くたちゆくわがさかりはも」(葉に降り積もった雪のために,笹は先端が重くなり,根元の方が傾いてゆく.私の盛りも下り坂になったとは惜しいことだ)などは,老いを人生の最盛期からの衰退と捉えて嘆く歌である.また,やはり読人知らずの歌に,「数ふればとまらぬものをとしといひて今年はいたく老いぞしにける」(流れ去ってとどまらないので「疾し」というのかもしれないが,あらためて数えてみると今年はずいぶん老いたものだ)と,老いの速やかさを嘆いた歌があるかと思えば,「さかさまに年もゆかなむとりもあへず過ぐる齢やともにかへると」(年月も逆さに流れてもらいたいものだ.なんらなすことなしに過ぎ去った私の年齢が,この年月と一緒に帰ってきてくれるかと思うのだが)と,時間を逆流させて若返りたいという気持ちを述べた歌もある.
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