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福祉工場とは
福祉工場とは,一般企業に適応しにくい重度障害者を,働きやすく,生活しやすい環境で完全雇用するという形の社会復帰策であり,経営を法人に委託し,運営に必要な職員の人件費など事務費を国が補助するというものである.施設利用者として作業訓練に従事する授産施設とは異なり,労働協約に基づく,正式な雇用契約による福祉的就労である.1971年に,社会福祉法人「太陽の家」,社会福祉法人「天竜厚生会」(静岡),社会福祉法人「清国会」(広島)の3か所が設立されたのを第一歩として,全国に拡大した.2006年現在,身体障害者福祉工場37,知的障害者福祉工場53,精神障害者福祉工場11の計101の福祉工場が存在している.平成17年度障害者白書によれば,福祉工場の賃金は事業者雇用より低く,身体障害者で月額19万円,知的障害者で9万6千円,精神障害者で8万1千円となっている(図1).
「太陽の家」創設と福祉工場設立
「太陽の家」は1965年に,当時は「保護されるべき者」として,残存機能がありながら働く場がなく,生涯を施設で暮らすことを余儀なくされていた障害者に,「世に身心しょうがい者(児)はあっても,仕事に障害はありえない」,「No charity, but a chance!」(保護より機会を)という故中村裕の理念の下に,別府市に創設された.障害者の社会的経済的自立を目標に掲げたが,縫製や竹工芸の製作請負などの授産作業を細々と受注するしかなく,障害者への仕事の安定確保に苦慮し続けた.1971年に厚生省(当時)は「福祉工場」を法制化し,「太陽の家」はその一つに選択された.そしてオムロン(株)〔当時,立石電機(株)〕創業者である故立石一真氏の「太陽の家」理念への共感と理解により,「太陽の家福祉工場」(定員50名)と「オムロン太陽株式会社」が誕生した.電磁コイルなどのオートメーションによる大量生産により,障害者への仕事の安定供給が可能になった.当初は,福祉工場とオムロン太陽(株)は一体となって運営を行っていたが,現在は,福祉工場はオムロン太陽(株)から100%の生産委託を受け,完全に独立した運営を行っている.1984年に「愛知太陽の家」,1986年には「京都太陽の家」が設立され,それぞれに福祉工場を設立した.「愛知太陽の家」はデンソー太陽(株),「京都太陽の家」はオムロン京都太陽(株)より生産委託を受けて運営されている.「太陽の家」設立から41年が経過した現在,8社の共同出資会社と6社の協力企業のもとに,障害者1,097名と健常者559名がともに仕事をしている.このうち243名(障害者193名,健常者50名)が福祉工場で就労している.平均年齢は43歳(男性43歳,女性45歳),平均勤続年数は11年(男性10年,女性14年)である(表).
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