特別寄稿
理学療法士の立場から観たケアに関する哲学的考察③―あなたのケアの根源はどこにありますか
奈良 勲
1
Isao Nara
1
1神戸学院大学リハビリテーション学部
キーワード:
ケア
,
理学療法
,
リハビリテーション
,
哲学
Keyword:
ケア
,
理学療法
,
リハビリテーション
,
哲学
pp.1062-1065
発行日 2011年12月15日
Published Date 2011/12/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1551102147
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ケアの根源と適切なケアとは
新約聖書マタイ伝1章1節に「初めに言(ことば)ありき.言は神と共にありき.言は神であった」と記されている.この意味するところは難解だが,ギリシャ語のlogos(ことば,こころ,論理(学問?))から推測するに,こころは愛やケアを意味していると思える.挨拶をはじめ,心づかい・気遣い,思いやりなどをことばとして表現し,同時に実際の行動が伴えば理想的なことである.しかし,agape(神の愛)とeros(人間)の愛との間には余りにも大きな隔たりがあるため,人間がどこまでagape的になれるのか? 例えば,カトリック教の修道名マザーテレサなどのように献身的に奉仕活動を行った人間は数多い.いずれの宗教的な背景にしても,慈悲や人間愛を唱えていることが共通項であると思える.また,キリスト教の影響が強い欧米では自己と他者への慈悲の精神や人間愛によるwelfare(福祉)が基盤にあるとも考えられる.無論,そのような崇高な奉仕活動を行った人々は,宗教的背景とは関係なく他にも多くの例がある.
イエス・キリストはいくつかの奇跡を起こしたと言われている.そのうちの1つとして,寝たきりの人々を回復させたのだが,筆者の推論では,イエスは対象者の可能性を見抜いていて,私を信じて「立ちなさい」と伝え,イエスを神の子として信じていた人々は,そのことばを信じて立つ努力をすると本来の潜在力が蘇ったのだと推察する.
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