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病院概史(その17)
吉田 幸雄
pp.2
発行日 1951年4月1日
Published Date 1951/4/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541200300
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前號までは大体日露戰争迄の状態を述べたものであるが,この戰後の大勝を契機として,日本の有樣も一段と變化して行つた。外に對しては,1904年(明治37年)同仁會が設立されて,諸國に日本の手で病院を設立する議が同國との間に進められ,滿洲には1906年南滿洲鐵道會社が設立,後藤新平が總裁となるや醫學校,病院の創設が直ちに取上げられ,1908年には大韓病院が京城に落成し,院長に佐藤進が當てられるというように大陸政策に病院問題が取上げられている。
一方國内は何うであつたかというと,戰勝により國威を海外に輝し,外貨を獲得して國力が増強して來るや,漸く資本主義國の樣相を呈し始め出した。醫業經營としては,新聞雜誌に醫師の廣告漸く繁きを加えるようになつたように,醫業にも企業的資本が投ぜられるようになり,1906年には新裝順天堂病院が落成,或は1907年には株式會社東洋病院の創設が着手せられるようになつた。然し,中産或は無産者の爲に1911年加藤(後の加地)恭治郞の京橋實費診療所の樣な時代の要求に合致すべき醫藥形態が現われるに至つた。
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