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病院概史(その19)
吉田 幸雄
pp.2
発行日 1951年6月1日
Published Date 1951/6/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541200329
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昭和11年(1936)6月日支事變が勃發するや全國の陸海軍病院に動員が下令され,醫師及び救護看護婦が續々召集配屬され,更に野戰病院,兵站病院が編成されて外地に出征する。戰線が擴がるにつれ,この野戰病院と兵站病院の網は漸次廣範圍の地域に擴大されて行き,數萬の傷病兵が,續續と後送せられて,病院船により内地に還送,小倉,廣島,大阪,善通寺の收容病院を經て各軍隊の病院,又は特殊治療を要するものは臨時東京第一陸軍病院(今の國立東京第一病院)國府台陸軍病院(戰爭神經症又は戰爭精神症)へ,又は後療法職業準備教育を要するものは臨時東京第三陸軍病院(今の國立相模原病院)へ轉送せられ,又温泉地の轉地療養所も活動に加わつた。赤十字病院は從つて陸軍病院に編入せられた。
戰爭は益々擴大して行き,昭和13年(1938)には軍事保護院が創設せられて傷痍軍人のために,全國各地に結核療養所,温泉療養所又は特殊な下總(頭部損傷)箱根(脊隨損傷)療養所等の慢性疾患の病院,その他失明療とか,傷痍軍人職業補導所(大阪,小倉)が設けられ,軍の施設と相俟つた,戰線から銃後にわたり傷病兵の爲の醫療網が完成されて行つた。
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