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病院の起源は,医学の歴史と同様,宗教の歴史をさかのぼらなければならない。インドに於ては,ヒンズーの文献によると,前600年に,釈迦が,十村に一医師と,不具者と貧者の爲の病院を建設している。又彼の息Upatisoは病人,妊婦の爲の收容所(shelter)を作つた。恐らくは,慈悲の宗教である佛教の影響を受けた地方には,これらの病院が設立されていつたに違いない。Ceylon島では前473年に病院が作られた事は確かな事である。更に東印度で最も注目されるものは,かの佛教信者のアソカ王の作った18施設であるとされている。即ちこの病院が,現代病院とその性質が似ていることが注目されている。現代の看護婦に相当する附添者は,病人に対して優しく世話をし,新鮮な果実と野菜を供し,薬を用意し,マッサージを施し,自分の身を清潔に保たねばならなかった。又ヒンヅーの医師は,外科に熟練し,縫合法以外のいろいろな手術法を知つておつたが,毎日入浴し,髮と爪を短くし,白衣を衣て,患者の信頼を受けるべきであるとされていた。エジプトの偶像崇拝時代には,医術の合理的な体系は出來ていなかったが,相等の医法が行われていた。然し原始的病院としては,信仰治療が唯一の療法であるサターン寺院Temple of Saturnか典型的のものとされている。
偖てギりシアに於ては,医薬の神であるエスクラピウスAEseulapisの神殿に於て行われたAEsculapiaが病院の前身であるとされている。その一であるTitanusは前1184年に作られたという。かの医学の父といわれる不世出のヒポクラテスHippocratesはこの寺院の一つであるコスKosに於て前460年に生まれたものである。そして多くの患者を診療して,かの偉大な業績を現わした。その爲に従來は慢性疾患の患者のみを扱っておったものが,急性の疾患のものも集って來るようになって行った。このエスクラピアはローマ帝國にも拡がって行き,外來患者も扱う現代の病院に似たものであった。
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