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病院概史—その13
Y.Y
pp.2
発行日 1950年12月1日
Published Date 1950/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541200237
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米国のペルリが始めて浦賀に来り開港をせまつたのは1853年(安政6年)であつたが,続いて英仏蘭露の諸外国が開港を要求し,遂に幕府は—59年に至つて神奈川,長崎,函館を開港せざるを得なくなつた。国内はかなえのる壺の如くなつてしまい,国論は二派に分れ新旧二大勢力の争となり最後は薩長派の勝利に帰し—67年慶応3年大政奉還となる。続いて国内平定の為戊申役となつて—69年明治元年新政府が樹立されるようになつた。この間日本の医療問題にとつては何ういう大変化がもたらされたであろうか。
アメリカは開港の端緒を開いたものであるが—61年から南北戦争が国内で起つている状熊で,日本の内政には余り干渉せず。英国は—58年印度全土を領有した時代で,騎虎の勢を以て日本におそいかかり,明治維新の主導権を握り,和蘭は従来の最恵国の歴史の基盤に立ち,独逸は—70年普仏戦争でフランスに大勝した新進国で特に科学の中心をなす状熊であり,この日本の大変化に丁度よくその勢力を伸ばすに至つている。
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