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Ⅰ.緒言
進行性筋ジストロフィー症児(以下DMP児と略)に療育の手が指し伸べられたのは,ごく近年のことである.
公的な教育としては,昭和35年現在の西多賀養護学校の前身である西多賀小中学校の西多賀病院分校に,3名のDMP児が編入されたのが始めで,正式なDMP児の学級としては昭和39年に広島県原養護学校の原病院分校に二学級が設けられたのが始めである.
また養護学校としては,昭和40年に千葉県四街道養護学校が下志津病院に隣接して設けられた.これに前後して,北海道八雲小・中学校特殊学級が八雲病院内に,大分別府養護学校の分校が石垣原病院(現西別府病院)内に,三重県加佐登小学校が鈴鹿病院内に,徳島県飯尾敷地小学校が徳島病院内に特殊学級を設けられるなど,続々とDMP児のための教育の場が作られるようになった.
これらの特殊学級は,全国的に増加すると共に,特殊学級から分校へ,分校から養護学校へと昇格していった.そして昭和54年養護学校義務設置の施行以来,それまでの院内学級はほとんど病弱養護学校として独立し,DMP児を主な対象とする病弱養護学校の数は20校をこすに至った.
それに伴い,その児童・生徒数も昭和44年には約530人だったものが,昭和56年には970人と増加している.
このようにみると,一見DMP児の教育は順調に発展してきているように見える.しかしその内容を詳細に見てみると,死が予測されている子どもの教育という始めての試みの中で,人間が生きるとは何か,教育とは何かという原点に立ち戻った教師自身の姿勢の問われるなかで,方法論的にも不明確なまま,多くの人々の絶大な個人的努力により支えられてきた面が多く,今後解決していかなければならない課題も多い.
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