The Japanese Journal of Physical Therapy and Occupational Therapy
Volume 18, Issue 10
(October 1984)
Japanese
English
- 有料閲覧
- Abstract 文献概要
- 1ページ目 Look Inside
はじめに
筆者に与えられたテーマは,「養護学校における作業療法士(OT)の実践」であるが,ここでお断りしておかなければならないことがある.筆者はOTであるが学校という職場ではOTとしての身分はなく,教諭としての自分があるだけである.学校教育の中で作業療法を行うことはできない.しかしあえてこのテーマで日頃行っていること・考えていることを述べさせて戴こうと思った理由は,子どもと接する時には,私一個の人間の全てをぶつけなければならない訳で,(それはもちろん教育的な関わり方をしなければならないので,作業療法の実践となると問題はあるが)OTでもある筆者が教育の現場で,教師としてどのような教育的な指導(医師の処方もないので治療ではなく)が成し得るか.また教師ではあるが,ベースにOTである自分を強く意識して行っている指導について考えを述べたいと思ったからである.したがって,テーマとは合わない内容になるかもしれないが,このような含みがあることでお許し願いたい.OTとしての筆者が全て消されてしまうということはあり得ない.OTである筆者が,子どもの状態を把握し・接しているはずである.しかしどのような治療的内容でも教育的な関わり方ができなければ学校教育の中では通用しない.教育の場で医療を行うことはできないのである.ここでは,現在肢体不自由児の養護学校に勤めている関係上,特に肢体の不自由な子どもの教育について述べたいと思う.肢体不自由児といっても,もちろん障害の重い子は,いろいろな障害を重複して有しているため肢体のみが不自由という子どもは,極めて少ない現状になってきている.他の盲・聾・精薄児のための学校に比べて,はるかに障害を重複して有している子どもの数が多い.また医療と教育が,他の障害を有する子ども達の教育に比べて,非常に近い距離をもって存在しているのも肢体不自由教育であろう.そのために,その接点については,人によってまちまちに捉えられ論じられてきたように思う.もちろん,この二つがオーバーラップするところが,他の盲・聾・精薄児の教育に比べて大きいことは,誰しも認めるところであろう.教育より医療が先行していた意味で,かつて医療の中で行われてきた内容を完全に無視して教育を考えることはできないからである.一人の子どもについて,医療と教育を切り離して考えることはできない.それら二つがうまくかみ合ったところで子どもにとっての一番良い方法があるはずである.お互いの専門性を認め合い,尊重した上で,初めて子どもを中心にした医療と教育が行われるはずである.おそらく,その境界は,はっきりとした線にはならず,モヤモヤとしているかもしれないが,うまくかみ合っていれば最高である.今ここで,かみ合わせの部分を特に述べるつもりはない.現在担当している極めて重い障害を有する児童に対しての指導の実際を上げ,日頃考えていることについて述べたいと思う.
Copyright © 1984, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.