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はじめに
母子関係は,小児の療育にとって一義的な重要性を占めている.しかし,今日それを支える理論体系は,あまりにも独善的であったり,世俗的常識と迎合しすぎたり,理論の存在根拠が非人間的であったりして,臨床家を混乱させている.いや,臨床家以上に世の母親を混乱させている側面の方がさらに問題であるかもしれない.
もちろん,人間科学の常として,理論と臨床(または現実)が,さまざまの制約によって矛盾をきたす事は,理論の側の所為ではない.また社会的矛盾に対して,臨床的には極端な理論主張を行わなければ,理論の正当性すら一般に認められない事もあろう.しかし,母子関係は少なくとも今日の西洋型社会文化に限っていえば,人間の基本を形成する関係でありうるだけに,理論の正当性とその限界を,理論的にも臨床的にも明確にしておく必要がある.とりわけ今日の混乱に対しては,批判的な視点が重要と思われる.
母子関係理論は,三つの大きな転回時期を有していたと思われる.その第一は,19世紀後半に急速な発展をとげた精神医学の異端,ジグムント・フロイドの幼時性欲論の展開にある.精神分析学は,無意識という,意識を支える広大な精神活動の中に,乳幼時期の母子関係の及ぼす影響を見出した.精神分析学は,人間存在の全体性に重きを置くことと,その技術上の問題から,フロイドの意図に反し自然科学の方法論として未確立である.したがって多様な広がりと学説の混乱を今日も内包しているが,今日の母子関係理論の基本はここにあるといえよう.
第二に,20世紀に入り,施設化(Hospitalization)の研究が,小児科学を内科とは全く異なる確立した医学分野に変えた.当初,施設化の問題は,身体的側面においてのみ発展をとげたが,次第に心理学的側面の重要性が注目されてゆく.施設内保育と家庭内保育の差がどこに存在しているのかという疑問は,発達心理学と小児科学の提携により,Maternal Deprivationという概念を提起するに至る.
第三に,第二次世界大戦のもたらした世界的混乱と,アメリカ型文化の世界化(後述)が大きな転換をもたらした.第二次大戦後の子ども達の悲劇はWHOを通じてボールビーの,母子関係に関する膨大な報告を生み出した.母子相互作用(Maternal Attachment),母と子のきずな(Mother-Infant Bond)といった新しい概念が登場し,これらが動物行動学と結びついて,今日流行の生物学的母子関係論を生み出してゆく.これと共に,この生物主義に対するさまざまな反論も生れ,1970年代は混乱の時期を迎える.
情神分析学・発達心理学・小児科学・生物学は,相互に影響を与え合いつつ,固く独自の分野を閉ざしてゆずらない.もちろん,これらとは全く別の分野からの独自のアプローチも存在している.そして,この多様な立場は,障害児の療育においても同じ混乱状態を呈している.脳性麻痺児の早期療育に対する相対立する諸見解もこの議論の影響を多分に受けている.しかし,何よりも精神発達遅滞とよばれる子どもの療育や,とりわけ自閉症・精神障害と名付けられる子ども達の療育における混乱は目をおおうものがある.
さまざまな理論を批判的に紹介する中から,これらを統合し,母親個人にのみ責任を背おわせかねない母子関係論の混乱からの出口がどこにあるのかを考えてみたい.
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