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私共が治療訓練を行う時に良く「患者の身になって」と言われるし,時には患者から健康な人になんかわからないと言われたりする.実際いくら患者の身になろうと努力したって限度のあることなのは仕方がないが,たまに自分自身が病気になって入院したり,けがをして不便な思いをするとしみじみとその気持を察するものである.
私は今まであまり病気をしていないので入院したのはお産の時と虫垂炎の手術をした時だけであるが,お産は重かったので後がつらくてどういう肢位で食事をしようかと1人で悪戦苦闘した思い出がある.昨年,皮膚を痛めてある大病院を受診した時には,医師の思いやりのない言葉に思わず涙があふれてしまい,この時はしみじみと患者に対する治療者の言葉使いの大切さを感じた.そしてついこの間,全く馬鹿みたいな話だが,炎天下に2時間放置した車のハンドルで両手指に火傷をしてしまい母指以外の8本の指に包帯を巻かれてしまった時の不自由さは真に障害体験であった.私の受持の四肢麻痺患者の動作を思い浮かべながら本来は片手動作ですむことを両手動作で行うのは良いのだが,どうしても指先が使えないと出来ない動作にぶつかってまずその日の夜,一本の指先のみ包帯を切ってしまった.コンタクトレンズをはずそうと思った時のことである.ハードレンズなら目の端をつり上げればはずせるのだが,ソフトなのでつまみ出さねばならないのである.水仕事が出来ないのにはまいってしまった.幸いその時は母と一緒に生活していたので食事も洗たくもやってもらったが,主婦から水仕事をとり上げるのは酷である.髪の毛をとかして縛ろうと思った時に感覚のない手の不自由さというものを思い知らされた.丁度,義手の講義の直前だったので,義手の限界としての「感覚のなさ」の項に思わず熱がこもった.
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