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はじめに
私はCVA患者を多数例観察しているが,CVA患者の運動発現様式は,一般的に共同運動が発現,次に,随意的運動の要素が増大,分離した運動へと,変化していくのをみる.ここでCVA患者における共同運動の重要性は,論じるまでもないと思われるが,一方では共同運動とは何であるのか,障害部位といかなる関係をもっているのか,また運動生理学におけるその位置づけが,十分になされていないのを痛感する.
また運動するには,いかなる機序で行なわれているのかも,十分にはわかっていない(行動の立案,調節も含めて).にもかかわらず,ファシリテーションテクニックなどで,治療が先行しているようである.ファシリテーションテクニックといっても,運動の随意性と筋力との関係やそれらを包括して,どのような障害部位がやられたときに,その出現している症状をどのように理解して治療を行なうか,などは十分に論じられていない.
また運動を行なうには,感覚入力(sensory input)と統合(integration),その情報の意味づけ(認知)などを運動出力(motor output)との関連で,十分に論じられていない.現在では感覚入力を運動系のなかに入れることにより,このように促通的(facilitatory),もしくは抑制的(inhibitory)に働くとか,このような姿勢をすればこうだとしか,考えられていないように思われるが,はたしてこれでよいのであろうか.
BobathらはCP児は不足した情報のなかで,不完全な運動系のメカニズムを働かして行動するから,異常姿勢や異常運動をするとし,ゆえにこれらのシステムのひずみをコントロールするために,抑制的ならびに促通的にするという方向性をもっているようである.しかし,これだけで十分なのであろうか.たとえば,ある種の感覚の100という情報量の不足があれば,できるだけ100の情報量不足を補おうとし,それでもなお,いかにしても情報量の不足を補えない場合は,他の感覚を利用するとか,それもできない場合はいかにすればよいのか,運動量,運動の調節も含めて,そのシステムのひずみをいかに受けとめるかが問題であろう.
また,われわれは成長するにつれて,複雑な行動をするようになり,複雑な環境にも順応していく.この過程をみると,自分の受けとめた情報を理解し,試行錯誤をくり返して,ひとつの基本的反応パターンを作り,その基本的反応パターンのうえに可変性を持ちながら,より高度な反応をするという方向性を,もっているのではないかと思われる.そうすると,性格の形成や人格の形成と同様に,人間の運動そのものにも,継時的変化をくり返し,より高度な運動性を獲得していると考えてもよいだろう.
これらのことを考えて,ある種の刺激を加えるとする.そうすると,刺激頻度,刺激量,そのインターバル,どのくらい継続させるか(認知に対する学習も含む)などを,考慮しなければならないだろうし,また,いつそれを開始するかというタイミングの問題も,考慮しなくてはならないのではなかろうか.またそれによって,運動系に及ぼす影響による運動出力の変化によっても,調節しなければならないだろう.
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