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(1)Kojewnikoff(1883)の初報とCharcot・Marie(1885)の追証
意外にも,錐体路が大脳の内包を通ることを初めて指摘したのはロシアのKojewnikoff(1883)1)で,しかも,筋萎縮性側索硬化症(ALS)の剖検例によるものであった。CharcotがALSの病理所見を初めて明らかにしたのはSalpêtrière病院における金曜講義であったが,この講義録集は1877〜1888年に編纂出版されたので(本シリーズ第4回参照),ALSの講義が何年になされたか判然としない。しかし,Kojewnikoffは自己の症例が「Charcot教授がALSと称した疾患であると確信している」と述べていることから,CharcotのALSの講義は1883年より前と推定される。その講義で,Charcotは「ALSでの錐体路変性は脊髄から延髄,橋まで追えるが(中脳については明言せず),内包は侵されないのが常である」と述べている(本シリーズ第3回参照)。このような背景から,Kojewnikoffは論文の表題を「錐体路変性が大脳を貫通したALS症例」と題し,「変性は内包の3/4番目にあり,大脳ではRolando溝に面する中心前回にある」と述べている。〔筆者註:内包は,解剖学的に,レンズ核を内側から包むを意味し,従って,内包の前方部(前脚)はレンズ核と尾状核との間にあり,後方部はレンズ核と視床との間を指す。それより後方は(内包ではなく)聴放線や視放線が走行する領域である。しかし,内包とこれら放線はいずれも線維集団であるので,その境は肉眼的にも,顕微鏡的にも捉え難い。そのため,この後方部も内包と誤解されることがある。CT,MRIを観察する際に留意する。視床,レンズ核の両後端を結ぶ線を目安にする。〕
Kojewnikoffの報告の2年後,Charcot・Marie(1885)2)は,Kojewnikoffの論文に触れつつ,新たに2例のALS剖検脳で内包の病変(変性顆粒)を視床とレンズ核との間に認め,更に「大脳皮質で大型錐体細胞(Betz巨大細胞のこと)が全く,或いは殆んど消失している」と述べている。
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