書評
「異なり記念日」—齋藤陽道【著】
酒井 邦嘉
1
1東京大学大学院総合文化研究科相関基礎科学系
pp.57
発行日 2019年1月1日
Published Date 2019/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1416201216
- フリーアクセス
- 文献概要
- 1ページ目
なぜ思い出が薄かったのか
著者の齋藤陽道さんは写真家であり,ろう者である。ただし聴者の環境で育ち,日本手話を本格的に使い始めたのは16歳からだ。それまで補聴器を付けて日本語の発音訓練を受けたが,他人の声は9割方わからず,「ひとり空回りする会話しかできなかった時期の思い出は,とても薄い」と言う。ところが20歳を過ぎて補聴器と訣別し,手話が馴染んでからは,「ことばを取り戻していくうちに,自分のものとして瑞々しく思い出せる記憶が増えてきた」。そして,「今ならわかる。思い出すことができなかった理由は,こころと密接に結びついたことばを持っていなかったからだった。ぼくはことばの貧困に陥っていた」と述懐している。
私はそこに「こころ」の一部としての「ことば」の本質を見る。それと同時に,補聴器や人工内耳などの医療器具が人間の尊厳を奪いうるという事実に愕然とする。
Copyright © 2019, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.