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興味深い訳書が出版された。何が興味深いかというと,失語症の最も重要な中核症状である「失名辞」を真っ向から捉えて,それがどのようにして生じると考えられるのかを,古典論的視点から出発してごく最近の知見までを極めて包括的に,かつ一貫して「認知神経心理学的」視座から精緻な解説を試みている点,今ひとつは,認知モデルを利用した立場から導出され得る多様な「失名辞」のセラピーについて,ごく最近に至るまでの状況を指し示している点,にあるといってよい。精神医学とともに臨床神経心理学を自身の専門としてきた私にとっては,1970年代後半以降,失語症は,最も主要なテーマの1つであり続けてきた。したがって「失名辞」がどのような機序で生じるのか,どのような脳損傷と関連しているのかという問いは,いつもとても重要な課題であった。私が失語症のほうをみるようになったころは,まだ認知神経心理学といった学問領域は明示的には確立されておらず,失名辞が生じ得る脳損傷部位は少なくとも左半球のかなり広汎な領域に及ぶといった臨床的な認識が共有されていた時期であり,失名辞そのものの発現機序を解明しようとすれば,失名辞に伴っていわばジャクソニズム的な意味での陽性症状として生じてくるとみなし得る「錯語」(言い間違い)を分析解明することが,臨床的に実行可能な研究方法であると思われたので,私は「錯語の臨床・解剖学」を研究テーマの1つとすることにした。ここでいう陽性症状というのは,損傷を被って適切な言葉が出てこなくなるという意味での陰性症状に随伴して,損傷を免れた脳部位が総体として活動する結果,出現することが予測される症状のことである。今回,あらためて最近の研究状況を読ませていただき,私たちの世代の考えていたことが失名辞の認知神経心理学という方向から十分にアプローチが可能となっているという事情を確認することができ,失語症学における最近の動向の意義を再認識させていただくことになった。
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