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あとがき
岩田 誠
pp.526
発行日 2011年5月1日
Published Date 2011/5/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1416100921
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3月11日に東北・関東を襲った大地震と津波は,未曾有の大惨事を惹き起こすこととなってしまった。津波の恐ろしさは想像を絶するものであり,テレビに映る,まるで65年前の大空襲の後の東京のような,跡形もなく破壊された海沿いの町々の様子は,まったく信じられない光景であった。その後,津波が押し寄せてきて町を飲み込んでいく様が,テレビでも繰り返し報道されるにつれ,津波というものの姿がみえてきて,その破壊力の恐ろしさが理解できるようになった。津波以外の何が,これほど広い範囲の町を一瞬にして破壊しつくし,これほどまで多くの人命を奪っていくことができるであろうか。犠牲者の数が日に日に増えていく中,どのような言葉でその突然中断された命に哀悼の念を捧げればよいのか,どのようにすれば残された方々と悲しみを分かち合うことができるのか,胸が張り裂けるような思いを禁じ得ぬまま,犠牲者の方々のご冥福を祈り続けている毎日である。
それにも増して悲しいのは,原子力発電所の危機的事故によって,地震や津波の災害に追い討ちをかけられて避難された方々の存在である。原子力の平和利用という旗の下,原子の火を制御できる力を得たと信じていた人類も,自然の破壊力の前にはまったく手も足も出ないことを,これほどまで思い知らせてくれることはない。連日連夜放映されていく福島原発事故のニュースに,日本中の人々は,限りない不安といいようのない憤りを抱き続けている。
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