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連載 神経学を作った100冊(29)
アーバークロンビー「脳と脊髄疾患の病理と臨床的研究」(1828年)
One Hundred Books which Built up Neurology (29)-John Abercrombie "Pathological and Practical Researches on Diseases of the Brain and Spinal Cord" (1828)
作田 学
1
1日本赤十字社医療センター神経内科
1Department of Neurology,Japanese Red Cross Medical Center
pp.618-619
発行日 2009年5月1日
Published Date 2009/5/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1416100495
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ジョン・アーバークロンビー(Johu Abercrombie, Fig.1)は1780年にスコットランドのアバディーンで生まれ,地元のマリシャルカレッジを卒業して文学修士(artinum məgister)を,そののちエジンバラ大学で医学博士の学位を1803年に取得した。その後,ほんの短い期間ロンドンのセントジョージ病院で勉強をした。まもなくエジンバラのニコルソン街で開業し,1805年に王立公衆施薬所の外科医となった。これは,彼が得た公的な医学の地位としては唯一のものとなる。当時,医学の教育を有名な開業医のもとで見習い奉公して得るという習慣はまだすたれていなかった。しかし1830年になると珍しくなり,1850年にはほとんどなくなる。というのは1850年ころになると,医学の教室に出席して,病院で実地を学び,そののち大学や病院から医学の学位を得るようになったからである1)。
アーバークロンビーは開業後間もなくあらゆる疾患を網羅した非常に大規模な診療を展開し,彼に従う徒弟とともに地域診療にあたった。1年に5人を下らない徒弟を入門させたという。彼はエジンバラの町を5つの地区に分割し,それぞれの患者を上級の生徒たちに託し,言うなれば彼自身の医学校を作り上げたのだった。徒弟たちは一種の医学会を彼の家の中に作り上げたと言われている。そして,ドイツでは既に“ポリクリニック”として知られていた教育体制を彼の診療所に導入した。ここでは徒弟のほか,多数の学生が彼を囲んでいた1)。
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