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最後の患者さんの診療が終わり,診察室の片付けをし,もろもろの事務仕事を仕上げれば,本日の仕事はひとまず終了になる.私の医院は夜間診療を主体にしているため,すべてが片付くのは,すでに深夜と呼んでもよい時間である.医院から数分離れたところにある自宅へ向かい,静まり返った冬の住宅街を歩きだす.息を吸って大きく吐き出すと,まるで張り詰めていた自分の魂が,溶けて蒸気になったかのように広がっていく.冷たい北風を避けながら顔を上げると,蒼く澄んだ夜空にオリオン座が大きく広がっている.自分の力を過信したあまりサソリに刺されて命を落とした狩人オリオン,右肩の赤い星はペテルギウス,下の青白い星はリゲル,中には星雲群があって…などと,星座を眺めながらぼんやり考えているうちに,自宅にたどりつく.東京の真ん中でも,空気が乾燥した冬には星がよく見える.別に星が何かを教えてくれるわけではないが,星と私の間の距離を感じるだけで,自分の位置や,自分の進むべき方角が不思議と見えるような気になってくる.そう考えると,占星術が世界のあちこちで発展したこともなんとなく理解できる.
私たちの社会が今多くの意味で転換期にあるということは,どうやら間違いではなさそうである.それでは,これからの時代に合う,新たな秩序を一から構築すべきなのか.それとも多少不自由でも,これまでのやり方をできるだけ守っていくべきなのか.それぞれの人たちが,それぞれの言い分で,それぞれの主張をする.このような人たちの中で,自分の言葉を用いて,さらには自分の行動を通じて語ることのできる人が,いったいどれだけいるだろうか.そう考えると,だんだん気持ちが沈んでくる.ひるがえって,自分には,いったい何を語ることができ,そしていったい何ができるのだろうか.何よりも,自分の行動は間違っていないのだろうか.いろんなことを考えていると,結局自分の個人的な問題に帰結する.
開業医は孤独だ,と誰かが書いていたのを目にしたことがある.確かに開業医は自由だが,その代わりに,多くの責任を背負っている.一人の医師として責任を持ってできることには限界がある.何か不足があれば誰かの助けを必ず借りなければならない.しかし,協力体制を作るのには相応の努力を必要とする.組織から離れ一人になると,自分の相対的な位置がとても気になってくる.自分の診療は正しいのか,自分の足元はしっかりしているのか.こう考えると不安でいっぱいになる.しかし,だからといって現場を知らない無責任な人たちに振り回されたくはない.自ら信頼できる基準を頼りに,自らの足元をしっかりと確かめながら進んでいきたい.
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