米国泌尿器科事情・2
初めての海外生活
篠原 克人
1
1カリフォルニア大学医学部泌尿器科
pp.878-879
発行日 1997年10月20日
Published Date 1997/10/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1413902173
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さて,前回はどのようにして留学に至ったかということを書きましたが,今回はその後ヒューストンに落ち着くまでを話そうと思います。まず最初に決めなければいけなかったことは住むところです。ヒューストンにはアパートメントロケーターという仕事をしている人がいました。この人はアパートを深している人を車に乗せてあちこちのお勧めのアパートを見せにいってくれます。別にこの人から料金を取られることはなく,どうも契約が決まるとアパート側から何がしかの謝礼が支払われる仕組みになっているようです。こんな仕事で生活していけるのかと思いますが,大学から紹介してもらったロケーターは,立派なキャデラックに乗り,銀髪をきれいにセットしたご婦人でした。きっと暇な時間をこのような半分ボランティアの仕事に使つている人なのだろうと思います。メディカルセンターの近くのモーテルに泊まりながら,そのご婦人のキャデラックに乗せてもらつてあちこち探し,"ターゲット"という日本のダイエーのような量販店の隣りにあるアパートに落ち着くことになりました。この間,このご婦人の車がトラックと衝突して2人とも怪我をするなどのアクシデントもあり,アメリカに来て2日目にしてかなり心細くなりました。
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