病院めぐり
長野県厚生連佐久総合病院泌尿器科
平林 直樹
pp.884
発行日 1996年10月20日
Published Date 1996/10/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1413901924
- 有料閲覧
- 文献概要
「私がこの信州の佐久高原の病院に赴任してきたのは,昭和20年3月6日であった。その頃東京の上空にはB29があばれまわっていた。私は妻と小さな男の子の手をひいて,それから逃げるようにしてやってきたのである。信越線の小諸駅に降りたった時,冷たい山の空気が,痛いほど鼻をついたのを今でもよく覚えている。—中略—病院は千曲川のほとりにあった。製糸女工の寄宿舎を持ってきて建てなおしたものだという。入院患者を一人も入れたことがないと聞いた時は,ちょっと絶望に似たものを感じた。—中略—私は病棟の下や二階を全部整理させそこにどしどし患者を入院させた。」これは現佐久総合病院総長 若月俊一先生の『村で病気とたたかう』(岩波新書)冒頭の部です。病院の開設は昭和19年でした。
昭和21年には若月先生が院長となり,出張診療 病院祭,新病棟建設,長野県農村医学研究会の発足など現在の活動の基が始まっています。当時バラックのようだった病院は,現在ベッド数983床,医師数142名の長野県有数の病院となっています。病院のある臼田町は佐久市の隣町で,今でも人口約16,000入の小さな田舎町です。
Copyright © 1996, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.