随筆
阿久津三郎博士の想出の二,三
石原 正次
1
1石原病院
pp.84
発行日 1967年1月20日
Published Date 1967/1/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1413200087
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今は昔の物語,齢80を越した老人となつては以前の記憶は皆薄れて語る程のことも残つては居らぬが只1つ自分が泌尿器科医師の仲間入りをした当時の事は不思議にはつきりと思い浮べることが出来る。それは今より50余年前のことである。明治43年頃当時自分は千葉医専教授井上善次郎博士の助手として内科に研究中であつたが,内科に入院の患者の診断を確定するため東京順天堂で泌尿器診療の名声高い阿久津博士の来院を求めて診察をして貰われた状景を見学した時に受けた感銘はそれまで泌尿器科なるものに何の知識も持つて居なかつた若い学徒の自分に取つては非常なものであつた。その時の私の目に映じたものは次の通りであつた。膀胱鏡を覗かせて貰つたが膀胱内景が手に取るように見え両側の輸尿管口にカテーテルが挿入してあつてその外端に腎臓から排出された尿を左右2つの試験管に受け集められて居たが,予め注射されたインヂゴカルミンによつて青く染まつた尿が一方は鮮かな青色透明な尿であり一方は濁りの著しく目立つた尿であつた,これで一目瞭然一方の腎臓は健全であるが一方は病的である事が誰が見ても議論の余地が無い,一側腎の腎盂腎炎であると確診された。膀胱鏡検査を用いる泌尿器科診断法のすばらしさを知ったのであつた。この時の感銘は不思議な縁となつて数年後自分を泌尿器科専門医に転向させてしまつたのであつた。
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