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カナダ・アルバータ大学医学部皮膚科学教室—教室の誕生と主任教授就任過程
1.カナダ・アルバータ州の自然環境
前号まで私は米国(ボストン),フィンランド(ヘルシンキ)での長期(5年半),短期(2か月)の滞在を通じ経験した米国,フィンランドの医療とその医学教育・研究環境について述べたが,私の第三の海外長期滞在は,カナダ・アルバータ州エドモントンであった.これから述べるアルバータ大学および私自身の同大学での皮膚科学教室の立ち上げ過程を理解するにはまず,アルバータ州の自然環境について述べると理解しやすい.
エドモントン市は,カナダ・アルバータ州の首都であり,私の移住した1987年には人口約85万の都市で,トロント,バンクーバー,モントリオールに次いで大きな都市であった.今から約100年ほど前にアルバータ州北部に大量の砂金が取れ,ゴールドラッシュとなり多くの人々がエドモントンを流れるサスカチュアン川を上り,アルバータ州北部へと移住し砂金の採掘に励んだ.したがって,当時はそういった金の採掘者が北上する際の中継地として栄えた.また,それ以前には毛皮の交易の町としても栄えていた.そのため,カナダとしては早くから開かれた古い都市の一つである.しかし,アルバータを世界的に有名な州とせしめたのは,第2次世界大戦後の1947年に突然地下から油が噴出してきて,自分たちの住んでいる地下に大量の石油資源があり,しかも石油のみならず,大量のオイルサンド,さらにはナチュラルガスの3つがあることがわかったことである.そこで石油ブームが起こったわけであるが,その時,州政府が賢かったのは,売上の3割をプールして医療行政に使用することを決めたことである.その運営に関しては,Alberta Heritage Foundation for Medical Research(AHFMR)を設立し,この財団が売上の3割をプールした利益を用い,州民のために大病院の設立,大学の施設の設立,さらには医学従事者,医療研究者のリクルート・育成に用いたことである.金の採掘はその後廃れたが,今でもエドモントン市を流れるサスカチュアン川には砂金が取れる.毎年,6月に砂金採掘時の隆盛期にちなんだクロンダイク日という祭りが開かれ,多くの観光客が各地から訪れ,川辺で金の採掘を行う.
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