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カリフォルニア大学Blois教授とワシントン大学Odland教授
私がボストンのハーバード大学に留学するために日本を発ったのは1970年の6月である.当時私はまだ大学院の3年次学生であったが,特別留学という形で大学院に在籍のまま留学をすることができた.日本からの出発に際しては,当時,関東逓信病院皮膚科部長であられた故・安田利顕先生と東京逓信病院皮膚科部長であられた故・小堀辰治先生が,私のために送別会を開いてくださり,3人で食事をしたことを覚えている.当時はまだ1ドルが360円の時代であり,また,海外への持ち出しのドルも制限を受けており,一人1000ドルが上限であった.
私は羽田からまずサンフランシスコに飛び立ち,University of California,Medicanl CenterのBlois教授とそのお弟子さんのThathachari先生とお会いした.これは私が日本を出発する前に大学院生時代に学位論文として研究を行っていたときに偶然発見した所見の学問的意義に対する示唆をうるためである.これは人工的にドーパ・メラニンを作成し,それを白色マウスのhind foodpadにうち,局所領域リンパ節(鼠径部,膝窩部)等への運搬系路を研究していたが,その際,領域リンパ節に達したメラニンは一定の約4Åの等間隔をもつ格子状構造を呈していた.当時,メラニンの化学構造についてはまったく分かっておらず,2つの説があった.つまり,インドール・メラニン重合体が単一polymerを形成するというhomopolymer説と,異なったインドール体が重合するheteropolymer説の2説があり,個々のインドール連合体がどのような結晶構造等を呈しているかについては不明であった.そこで私の所見が丁度Blois教授らの提唱していたメラニンのpolymer説の理論的化学構造と偶然よく一致したことであった.私自身これら所見を更に整理し,実際に論文として発表したのは1984年であった1).
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