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日米色素細胞学会と故・清寺真教授
日米色素細胞学会(US/Japan Pigment Seminar)は1969年10月29日に東京で開かれた.その内容に関しては“Biology of Normal and Almormal Melanocyte”として,当時の東京大学皮膚科・川村教授,東北大学皮膚科・清寺教授,および,Harvard大学皮膚科・Fitzpatrick教授の3名のeditorsによって出版されている.この学会は当時の皮膚科学国際学会で最も画期的なものの一つで,日米の色素細胞を研究している学者(これには皮膚科を専攻する者のみならず,生物学,生化学者を含む)が一堂に会し,当時の最新の研究情報の交換を行った.この会の中心的役割を果たしたのは,当時,東京医科歯科大学から東北大学へ移ったばかりの清寺教授であったが,同教授は久木田教授らの後にOregon大学からHarvard大学に移ったFitzpatrick教授の下でメラニン生成の研究に従事した.以来,清寺教授は世界的に最も著名な色素細胞学者の一人として多くの研究業績をあげられたが,特筆すべきことは,melanosomeという概念を初めて明らかにしたことである.日本に帰国後,現在の色素細胞学会の元となるPigment Cell Clubを開設し,そのclubの中で日本の色素細胞研究の発展の基礎を築かれた.清寺教授の多くの著作の中で,私が最も心打たれているのは,『皮膚の生化学』(金原出版株式会社)である.私自身,皮膚科学の研究を始めるときに,Rothmanの“Physiology and Biochemistry of the Skin”に加え,『皮膚の生化学』をバイブルとして何度も読ませて頂いた.
1969年のPigment Cell Seminarには多くの学者が参加されたが,ことにLerner教授(Yale大学)はhormone(MSH, ACTH)がmelanin形成を刺激する際,cyclic AMPがsecond messengerとして重要であることを強調された.前神戸大学皮膚科・三島教授は,当時Wayne大学におり,chloropromazinを用いた抗黒色腫放射線療法を報告したが,これはその後先生が長く研究されている10Boronを用いたneutron capture療法の基礎となるものである.川村教授は母斑細胞のhistogenesisについて報告し,ことに神経堤細胞の異常分化として色素性母斑細胞を位置付けていた.当時,Fitzpatrick教授下で仕事をしていた前東京逓信病院・戸田先生はmelanosomeのStage Iの概念について報告された.清寺教授はこの会において,melanin形成におけるtyrosinaseに対する阻害物質について話された.
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