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ハーバード大学医学部皮膚科学講座のスタッフの紹介(その3)
Fitzpatrick教授のハーバード大学における最初の門下生は,Harward BadenとIrvin Freedburgであった.この2人がFitzpatrick教授の指導のもとで,ハーバード大学医学部皮膚科でスタッフとしてどのような教育を受け,成長し,その後どのような人生を歩んでいったかは,アメリカのアカデミックな領域,ことに大学における人事の一面を考える際に興味のあるものである.
まず2人は,多くの共通点を有する,例えば,ともに生粋のユダヤ系であること,ハーバード大学でレジデントの修練を受けたこと,共通の師を有し,ともにその一期生であること,同じ皮膚角化細胞の研究領域に進んだこと,しかもともにその研究領域において世界的に認められ,皮膚科学の研究雑誌としてはベストである“Journal of Investigative Dermatology”のエディターとなったことなどである.一方,異とする点としては,Badenは幼少時から経済的に苦労して育ったのに対し,Freedburgは裕福な家庭の一人息子として育った.Badenは論議の場において極めて率直に自分の意見を述べ,なかなか妥協しようとしない.他方,Freedburgはソフトに話し,周囲を見,しばしば政治的判断を加えたうえで自分の意見を述べる.また,Badenは学会などにおいても極めてストレートに自分の意見を述べる.Freedburgは石橋を叩いて逆に後退する.学会に出ていても,何をいおうとしているのか,わかりづらい場合もしばしばあった.研究論文の発表数も,Badenは原著の論文が202以上あるのに,Freedburgは88しかない.このように比較すると,BadenがFreedburgよりはるかに抜きん出て,アカデミックな領域で成功するように見えるが,現実は必ずしもそうではなかった.まずハーバード大学における教授としての就任は,Fitzpatrick教授がBadenを最初に推薦したにもかかわらず,Freedburgが先になった.この裏話としてFreedburgの叔父さんが当時,ハーバード大学の循環器科の教授であったため,強くFreedburgを推薦したという噂があった.Freedburgは,“Journal of Investigative Dermatology”のエディターになった後すぐに,アメリカで最も伝統のある医学部の1つであるニューヨーク大学の主任教授として栄転した.多くの学会賞を獲得し,日本にも土肥記念講演者として招かれた.しかるにBadenは,ハーバード大学皮膚科の教授のままであり,他大学の主任教授とはならずじまいで,多分そのままで退官するであろう.
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