海外見聞記
ラテンアメリカ便り(7)—パラガイ
大城戸 宗男
1
1慶応義塾大学医学部皮膚科
pp.1253-1254
発行日 1969年11月1日
Published Date 1969/11/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1412200583
- 有料閲覧
- 文献概要
パラガイは人口200万位であるが医科大学は首都アスンシオンに1つあるだけである。もつとも日本の人口を1億として,医科大学約50とするとほぼ同じ比率となる。この国でも勤務医の給料は安く,開業してもうまみが少ないので大学の卒業生はアルゼンチンを初めとした周辺の比較的先進国に流出していく。医者不足の上,好んでジャングルの奥の無医村に入つていく人はいないから,日本の移住事業団が経営している診療所は大もてになる。現在聖母病院産婦人科に勤務されている大森茂氏が現地に居られた時は,その医術が評判となり遠方から原住民が集り,次第に周辺の国々から国境を越えて医治を乞う人が増え,最後には外国人の方が多くなつた位であるという。その為近辺の開業医から恨みを買い,去らざるを得なかつたが帰国に際してパラガイ政府から感謝の勲章を授かつた話は今だに語り草である。
南アメリカ・ブラストミセス症は文字通り南米に限つているが,それもアンデス山脈の東側,特にブラジル,パラガイ,アルゼンチン,ベネズエラに多い1)。ブラジルはサンパウロ,ミナス・ジェラエス,リオデジャネイロ,グアナバラ等の州に多く,ここらあたりはまた,日本人が移民として多く入り込んだので,ある時期には患者の半数以上が邦人によつて占められたという2)。その罹患し易い理山として細江は2)栄養不良を挙げているが,実際生活状態が改善されると共に患者の減少をみている。
Copyright © 1969, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.