コラム
薬物療法の現在・未来
東 郁郎
1
1大阪医科大学眼科学教室
pp.95
発行日 1996年10月20日
Published Date 1996/10/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410905102
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戦前・戦後の緑内障は縮瞳薬と円鋸術を中心に治療され,医師も患者も苦闘の連続であった。昭和30年から緑内障と関わったものとして,当時を振り返ると,緑内障手術といえばトレパナチオンで管錐術とか円鋸術という言葉そのままに,眼を錐や鋸のように穿孔して房水が勢いよく飛び出してくる状況をよく目撃した。いかにトレパンの回す角度を手加減してやるべきかのコツが手ほどきされた。時には切除された円形の角・強膜片(scleral disc)が前房に落ちこむといったアクシデントもあった。また嵌頓してくる虹彩が全切除されることもあった。何しろ脱出虹彩を切除しようとすると大きなウエッケル剪刀に隠れて,虹彩の状態が見えないのである。とにかく,危険な難しい手術であるという印象がつきまとった。といって治療薬として並んでいる点眼瓶には,ピロカルピン,エゼリン,アドレナリンしかなく,とてもこれだけで緑内障を治すことは至難の技であった。そこに炭酸脱水酵素阻害薬(アセタゾラミド)が登場してきた。
以来40年,緑内障の診療は確実に進歩してきた。その間の経緯は「より良き緑内障治療を求めて」(緑内障9:7-14,1995)に記述したので参考にしてほしい。
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