文庫の窓から
眼科一家言
中泉 行信
,
中泉 行史
,
齋藤 仁男
1
1研医会
pp.196-197
発行日 1995年1月15日
Published Date 1995/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410904163
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文化12年(1815)に杉田立卿(1786〜1845)が訳述した「和蘭眼科新書」などが出版され,わが国の眼科は次第に蘭方眼科を採り入れるようになり,文政6年(1823)にシーボルト(Philipp Franz von Siebold,1796〜1866)が来日して実地医療が行われるようになってからは,漢方眼科から蘭方眼科への移行がにわかに進められるようになった。
こうした背景にあって,高良齋(1799〜1846)の「西説眼科必読」などの訳述をはじめ,天保年代に入って本庄普一(?〜1846)の「眼科錦嚢」「続眼科錦嚢」,馬島円如(1802〜1855)の「眼科集要折衷大全」等々の漢蘭折衷眼科書が次々と著された。こうした時代,時を同じくして著されたのが本書,「眼科一家言」である。この本は漢方眼科の不備なところを蘭方眼科で補足し,いわゆる和漢蘭折衷眼科書として記述された,いわば当時としては稀にみる眼科臨床治験録ともみられるものなので,本書の概要を紹介する。
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