文庫の窓から
眼科要略
中泉 行信
1
,
中泉 行史
1
,
斉藤 仁男
1
1研医会
pp.994-995
発行日 1986年8月15日
Published Date 1986/8/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410209846
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古くから漢法眼科を主流にして来たわが国の眼科は蘭法眼科が急速に移入される様になり,その精確さが認められるに至って,従来の漢法の他に蘭法や漢蘭折衷といった眼科が盛んになり,次第に漢法眼科の弊をただそうとする方向に変わって行った.眼科書もこれまでの秘方秘伝書などは次第に影をひそめ,基礎的,臨床的に裏付けのある蘭法眼科書が翻訳され,編纂されるものが多くなった.こうした時期,文久3年(1863)より慶応元年(1865)にわたり,中川哲(字明甫,号淡齋)編集によって刊行されたのが「眼科要略」である.
本書は,中川哲がその凡例に「西哲ノ書ニ就テ諸説ヲ折衷シ……編輯ノ例一々扶氏遺訓ノ体ニ従イ……主トシテ布歛幾,設里鳥斯ヲ研覈シ,旁ラ悉篤満,謬布湼兒,扶歇蘭土,季加兒度及ビ摸斯篤等ノ群籍ヲ参考シテ……」と述べている様に,多くの蘭法医書によってその諸説を折衷し結集したものとみることができる.また,本書の巻尾(巻3および巻6)には多数の彩色眼病図,眼療器具図および光線諸図が所載されているが,その凡例に「…緒図取中目樗山翁目病真論,者居多,家厳嘗従翁受其口訣手術,雖今不主一家,竊存影響千此所以不忘旧誼也,諸証名例不一,不必仍諸書所載云」「諸図係視学一歩所載者今掲之……」とあり,本書に所載した諸図は中目樗山(1808〜1854)著「目病真論」(全4巻嘉永3年刊)や中環(天游,1783〜1835)著「視学一歩」など参考にしていることがうかがえる.
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