文庫の窓から
『醫弊説』
中泉 行弘
1
,
林 尋子
1
,
斎藤 仁男
1
1研医会
pp.258-260
発行日 2007年2月15日
Published Date 2007/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410101558
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水戸藩主徳川齊昭公(1800-1860)の藩政の改革,弘道館の建設,水戸学の精神などについては世によく知られているところであるが,また,幕政に参与し,医政と厚生運動にも大変熱心であったことも看過できない。なかんずく『醫弊説』を自ら撰して医学の振興に尽力したことは有名な話である。ここには齊昭公の医政について,その第一人者である石島績,矢数道明両先生のご研究をもとに『醫弊説』を紹介する。
徳川時代,水戸歴代藩主のうち,医学振興に最も心を注いだのは烈公徳川齊昭であった。烈公は弘道館内に医学館を設け(天保12年),藩内に15の郷校を置いて医学教育を行い,自ら『醫弊説』を撰して医道の興揚,医の倫理を提唱した(矢数道明)。ことに烈公は,この『醫弊説』において,藩医の悪弊を痛切に説破したといわれている。
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