文庫の窓から
眼科約説
中泉 行信
1
,
中泉 行史
1
,
斎藤 仁男
1
1研医会
pp.1010-1011
発行日 1988年8月15日
Published Date 1988/8/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410210499
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大学東校(東京大学医学部の前身)に初めて外国お傭教師としてミュルレル(Leopold Müller)が招聘され,外科の傍ら眼科を担当したのが明治4年(1871)であるが,明治8年(1875)に至り,シュルツェ(EmilAugust Wilhelm Schultze)が交代して外科に兼ねて眼科を教授した.これらの講義記録は当時学生であった山崎元脩等によって翻訳され,まとめられた.「医科全書」(49巻)は明治8年から同11年に至るまで刊行された外人教師の講義筆記である.
当時の眼科書といえば講義筆記と翻訳書が多かったが,明治初年から同20年頃までにわが国で発行された眼科書は20数種を挙げることができるが,そのほとんどが翻訳書か日講紀聞式の講義筆記であったといわれる.(鮫島近二博士)
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